続・エロ本を売る無能の人。

午前3時。携帯が突如痙攣した。携帯が壊れていないか確認する。寝ぼけ眼にブルーライトがしみる。まるで空きっ腹にウィスキーを流し込んだみたいな焼けつく様な感じだ。

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某フリマサイトから出品停止お知らせが20件以上届いていた。どうやら私は利用停止処分になったらしい。思い当たる節はいくつかあったが今となっては後の祭りだ。本業よりも力を入れていた私の副業という新たなステージは主演男優の不祥事により呆気なく幕を閉じた。眠れないままに東雲(しののめ)を迎える。どこまでも深く終わりのないような夜を過ごしても明けない夜はないらしい。やれやれ…。

ここで読者の皆様に何故、私がフリマアプリの利用停止処分になったのか?先程の私の「思い当たる節」について開示したいと思う。ただ利用停止処分というのは運営の方の独断と圧倒的な偏見なので内容についての正確性は担保できない。

⑴アカウント名について
私は90年代の多感な時期をAVと共に生きてきた。これは言い過ぎではなく40代以降の男性諸君であれば一部の嗜好の違う方を除いて共感は必須かと思う。私はエロ写真集を売るにあたり、40代以降の男性をターゲットにノスタルジックで淫靡なエロを喚起させる強烈な名前を友人の知恵から拝借した。現代AVの基礎を築いた最古参AVメーカー「宇宙企画」や、フェチシズム的性癖を全面に打ち出した「アロマ企画」の社名をオマージュした「●●企画」※●●の部分は私の住んでる地名。これが私のアカウント名になった。しかし、この名前が不埒な印象をフリマユーザーに与えたのかとも思う。自粛警察ならぬ18禁警察がどこからともなく湧いてきて違反報告をする。ご存知の通り複数回違反報告されると利用停止処分へのハードルは俄然低くなる。

⑵ 1アカウントでの同類商品の複数出品
私は彼女のお父さんからアイドルエロ写真集を預かったがその数は30年以上塩漬けにした蔵書であるため、写真集における蔵書の量は一般のフリマユーザーの比ではない。絶版本もあるため、明かにプロと思われても仕方のない商品のラインナップである。これで運営に目をつけられたのかもしれない。

⑶出品の際の表現について
私が扱っていたのは90年代前半の無名モデルが圧倒的に多い。これら過去の遺産を現代に復活させるにあたり私はこの無名モデルのバックグラウンドを調べあげ、商品説明に加えた。また、言葉のインパクトを高めるために対比法を使った表現を前面に押し出した。例えば妹系写真集では「あどけなさに収まりきれない!溢れるほどの大人の誘惑」等々。実際、妹系写真集は4,000円前後で取引された。

⑷直接すぎるタイトル商品の出品
これがもう圧倒的に良くなかったと猛省した。私が最後に出品した本は「平成素人娘初部屋ヌード図鑑」だった。陰毛を部屋ヌードなんて表現するあたりが性的直接表現を避け、かつ失笑と共感を得る最高のジョークに間違いないタイトルのはずだった。しかしフリマ運営としては、公序良俗に反しない市場の形成と美しすぎる詭弁「青少年の健全な育成」には宜しくないとの事で削除するしかないのだ。以前の違反報告との合わせ技で私は一本負けになったと言わざるを得ない。

こうして私は本当に無能の人となった。山のよう積み上げられたエロ写真集と海のように拡がった梱包資材に囲まれ四面楚歌となった。進むも退くも地獄。旅順攻囲戦を戦う日本兵の様な有様だ。茫然自失の私は体調を崩し、病院にまで行った。この状況を打破すべく、運営に謝罪文まで送付したが全く受け付けてもらえなかった。丁寧に詫びた後「過激なものは出品しない」と往生際の悪い事を書いたのも運営からは反省が見られないと判断したのだろう。

副業を得て、彼女のお父さんや私達のこれからの生活の足しになるばかりでなく、生甲斐を感じていただけに利用停止処分は私が想像した以上に私を苦しめた。何もする気になれず、しばらくは写真集のある部屋には足を踏み入れることも出来なかったが、ある日、片付けがてら呆然と写真集を眺めていると、90年代のアイドル達が私にそっと微笑みかけてきた。

 

「きっと誰かが私達を待ってるよ!」

 

そう言われた様な気がした。その瑞々しい微笑みとこの世のあらゆる美を集約した曲線美を文化遺産にするのは余りにも惜しい気がした。私はこれまでで得た教訓を活かす事を決心し、別のフリマサイトで新たな販路を開拓する事にした。新規登録したフリマサイトは以前よりも規制が厳しい。18禁商品はすぐに出品削除されてしまう。アカウント名を個人名に変え、商品説明も最小にとどめ、直接的なタイトルと表紙については画像修正を加えながら、少量にて再販の道を模索し始めた。しばらくすると少しずつ購入者が現れ始めた。違反報告も今、現在は来ていない。

新たなステージを与えられた無能の人は自粛期間を経て、細々ではあるが端役を演じ始めた。少し不思議な錯覚を経験したので最後にお伝えしたい。

出品するにあたり写真集を携帯カメラで撮影をする。一流と言われるカメラマンがファインダー越しに捉えた写真を、まるで有名書家の筆跡をなぞるように私が撮影してゆく。すると私は名も知らぬ南国の島の上空にいて撮影現場を俯瞰しているのだ。一流カメラマンの切り取ったモデルの刹那の煌めきが伝わる。私はあたかもその場にいて自分が一流のカメラマンになったかのような不思議な錯覚を楽しんだ。

「いいね、その表情!とても綺麗だよ」

そう呟かずにはいられない。

バブル終焉期の新興エロティシズム産業とフェミニズム主義による規制が交錯した時代に翻弄された90年代の彼女達は悲しいほどに美しい。そのあまりの美しさに無能の人は端役の降板を申し出た。そう、新たなステージの主役はあくまでも彼女達に他ならないのだ。